2016年09月08日

Nikaho Yoshio デビュー・シングル発売決定

サイケとブルース、そしてシュルレアリスムをこよなく愛する23歳の若き鍵盤奏者、ニカホ ヨシオ。現在、Yogee New Wavesでサポート・キーボーディストとしても活躍する傍ら、自身のソロ名義でデビューEPのリリースが決定。ほぼ全ての楽器を自ら演奏し、ミキシング・エンジニアに元・森は生きているの岡田拓郎を迎えたその楽曲群は『坂本慎太郎のソロ諸作やD.A.N.の音楽性にも通じる引き算の果てにたどりついたような、高い緊張感と寂寞としたムードを漂わせながら心地よく浮遊するサウンドスケープ』とも評される。アートワークを国内外で高く評価されているコラージュ・アーティストQ-TAが手がけ、ボーナス・トラックとしてミツメのメンバーnakayaanによるリミックスも収録した2016年下半期最も注目すべき一枚がここに完成しました。また、11月3日には、Alfred Beach Sandalを招いた本作の発売イベントも決定。





◻︎ アーティスト:ニカホ ヨシオ
◻︎ タイトル:SUR LA TERRE SANS LA LUNE / シュル・ラ・テール・サン・ラ・リューン (月のない地上)
◻︎ レーベル:販売元:speak,see,remember / (株) ラリー
◻︎ フォーマット:7インチ / CD
◻︎ 発売日:2016年11月2日
◻︎ 価格:1,500円+税

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【発売記念ライブ】

2016年11月3日(木・祝) @ 渋谷7th floor
開場 18:30 開演 19:00
出演:ニカホヨシオ&the SunRaTans / Alfred Beach Sandal (アコースティック・セット) 他
前売 2,000円 当日 2,500円 (共にドリンク代別)
メール予約:rallye.label@gmail.com
電話予約:03-3462-4466 (7th floor)

【コメント】

いいね!晴れた朝によく合うね!
でも曇った午後も合いそうだし、ねむれない秋の夜長にも良さそう

髭:須藤寿

【レヴュー】

▶︎ 小田部仁

大学時代の友人に亡霊のような男がいた。洋服と映画が好きで、ヴィーガンではないものの肉をいっさい喰わない男だった。ある年の夏、そいつとモロッコを旅した。ウィリアム・バロウズの愛したタンジールの浜辺で月をみた。青白い光を放つ衛星は今にも溢れそうに潤んでいた。日々の瑣末な諸々に押しつぶされそうになる時、あの月の姿をまぶたの裏に映す。生きていくことへの畏れに感づきながらも、月の美しさに今は見とれていようと思った夜のことを。ニカホヨシオの紡ぐ言葉と音は、穏やかな微睡みに包まれながらも、近い将来訪れるであろう忌むべき災いを知覚している。適切にして有効な攻撃(あるいは退避)のタイミングを計っている。今、この瞬間だけは「月のない世界で踊ろう」と、あえてこちらに向かって呼びかける。ザラザラとしたオルガン、中空を飛び回るパーカッションと電子音……呪術的なサウンドスケープの奥底にあるのは、しっかりとした骨と筋肉を備えた「歌」だ。危険なマントラのような音楽だとも思う。ムーンダンスを踊ったが最後、陶酔に囚われてこの現実の世界に帰ってこられない、そんな危うさがある。美しい月と月のない世界、二つを隔てる垣根の上に立ちゆらゆらと踊るニカホヨシオ。唯一無二の浮遊感は、あまりにも甘く儚げで危険だ。

▶︎ 三宅正一(Q2)

Yogee New Wavesが昨年12月にリリースした『Sunset Town e.p』のM2に収録されている表題曲の“Sunset Town”。僕はこの曲で初めてニカホヨシオのプレイに触れたのだが、彼が鳴らしているピアノの重要性についてヨギーのメンバーと話したときにバンドのフロントマンである角舘健悟はこんなことを言っていた。
「“Sunset Town”はピアノが成り立たないと成立しない曲ですよね。このピアノはニカホヨシオというやつが弾いていて。クラシックをルーツにしているピアニストなんですけど、こいつがね、いい感じのエスパーなんですよ。サイコパス診断でもヤバい結果を出すようなやつ。繊細でピアニスト然ともしている。見た目はヒョロっとしていて、石油王の息子みたいな感じなんですよ。彼がサポートメンバーでいてくれることは、ヨギーにとってすごく心強いです」
エスパーで、サイコパスで、繊細なピアニスト―—。なんだか茫洋としているが、とりあえずニカホヨシオが一筋縄ではいかない人物であり音楽家であることだけは伝わってきた。
そして、11月にリリースされるニカホヨシオのデビューシングルの収録予定曲を聴かせてもらい、その音楽像から感知するセンスオブワンダーにのめり込んでいった。坂本慎太郎のソロ諸作やD.A.N.の音楽性にも通じる引き算の果てにたどりついたような、高い緊張感と寂寞としたムードを漂わせながら心地よく浮遊するミニマルでサイケデリックなサウンドスケープ。そこに耳を澄ませると、ささやかに律動するリズムセクションの上でエレピやオルガン、エレクトリックギターが陽炎のような揺らぎを導き、どこかデカダンスなメロウネスを感じさせる歌に寄り添う。緩々と紡がれるボーカルとリリックから表出するのは、現実と夢想がフラットになった地平で喜怒哀楽が融解した者が口ずさむ、リスナーを虚無の向こう側へいざなうブルーズでありラブソングだ。このミニマルメロウなサウンドと歌に陶酔するのは、きっと僕だけではないはずだ。

▶︎ 松永良平(リズム&ペンシル)

ニカホヨシオというミュージシャンのことをぼくはよく知らない。でも、この音のバックグラウンドにある景色はよく知っていると思える。
2015年の冬、ハリウッドで夜の街のネオンサインを撮る楽しみを覚えた。さっき見たばかりの映画『インヒアレント・ヴァイス』の影響で。相棒は型落ちのiPhone。日付が変わるころにモーテルを出る。車じゃなくて、歩き。人の気配のない街の暗がりにネオンが灯っている。iPhoneのカメラを向け、ネオンに合わせて指をタッチすると、周囲がピントアウトして、ネオンだけがくっきりと浮かび上がる。ひとりで何時間か、知らない夜の街を歩いていると、『インヒアレント・ヴァイス』のつもりだった気持ちが、別の映画の『ナイトクローラー』の主人公のようになっていた。怪しく、淫靡で、うねっていて、罪を犯している。これはちょっとした都市の覗き見なんだ。
ニカホヨシオの歌と音楽を聴いて、ぼくが思うのはそんなこと。これは現代都市への潜行。シティ・ポップのアンテナとかいらないから。岡田拓郎(ex. 森は生きている)が施したアウトローなミックスが、さらにどこまでもぼくを道に迷わせる。ネオンにつられて角を曲がり、ふと振り返ったら、もう知らない街だった。

▶︎ 堀部篤史(誠光社)

数年前、ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』リストア版を劇場で観た。ジューヌ・ヴェルヌとH.G.ウェルズに着想を得て制作された、トリック撮影によるSF映画のルーツのひとつ。そもそも興行師であったメリエスは、映画を奇術の延長線上にあるメディアとして捉えていたという。大衆が見たことのないものを披露して観客を魅了する。フィルムに絵筆で直接着色された、奇妙な色合いは、絵画と映画というかけはなれたテクノロジーのコンバインであり、その結果生まれた映像はシュルレアリスム的ですらある。それから100年以上の時を経て、最新のテクノロジーでデジタル修復されたその映像もまた、アンティークとデジタル技術の融合という意味合いでまた別の味わいがあった。リストア版のために新たにサウンドトラックを提供したフランスのAIRもまた、テクノロジーとヴィンテージの融合を図ったバンドである。

ニカホヨシオという若い音楽家について僕はまだ何も知らないが、その楽曲と言葉から浮かび上がるイメージはどこかメリエスの映画に似ている。監督本人が燃やしてしまった数多くのオリジナル・フィルムではなく、最新のテクノロジーで修正されたリストア版に。技術や時間の差異をテクノロジーが橋渡しするとき、その間を駆け抜ける亡霊が、ほんのわずかな時間可視化される。そんな瞬間を捉えたような、稀で、怪しくも、色気のある音楽だ。

▶︎ 国分優

誰にでも日常がある。朝起きて夜寝る人、夜寝て朝起きる人、本当は朝起きたいんだけど昼すぎに起きてしまうことに憂鬱を抱えている人のリズムもまた、その人なりの日常だろう。その日常があることで非日常も生まれるのだが、現に実際起きているという点においては、どちらも「現実」である。レヴューなので音楽に寄せた話をすると、以前、私たちの「現実」というものに音楽は流れているのだろうか? などと考えたことがあった。映画のサウンドトラックのように進行に合わせて作曲された劇音楽は存在しないのではないだろうかと思ったのだ。夢に劇音楽がないことにも気付いた。なんでなんだろう?ってな感じで悩んだことがあったのだが、調べてみると、それはおおまかにシュルレアリスムという芸術の形態に通じる話だということがわかり、けっこう調べている人も多かったので自分の頭がおかしくなったわけではないと安心したのを覚えている。
そして今、なんてめんどうな話をしてしまったんだろう、と非日常感を味わっているわけだが、その要因はすべてニカホヨシオにあり、もっといえば、『月のない地上』(SUR LA TERRE SANS LA LUNE)という曲名にあるだろう。曲の内容を具体的に語ることは前途の話に近い感覚で難しいが、それを身近な現象で例えるならば、睡眠直前にやってくるフィクションなのかドキュメンタリーなのかすらわからないモヤモヤ感といったところかもしれない。
ニカホヨシオという1人の鍵盤奏者がこの曲によってその曖昧で素晴しき世界へ挑んでいることは、紛れもない「現実」である。
[ssbp]